東京地方裁判所 昭和32年(ワ)5441号 判決 1958年9月10日
原告 櫛笥一臣
被告 株式会社七映工業写真社
主文
被告は、原告に対し、別紙目録記載の建物を明け渡し、且つ、昭和三二年七月三日以降支払済に至るまで、一箇月金三〇、〇〇〇円の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は、原告において、金一五〇、〇〇〇円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
第一原告の主張
(請求の趣旨)
原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。
(請求の原因)
別紙目録記載の建物(以下本件建物という。)は、もと堂前富蔵の所有であつた。原告は、その抵当権者として、東京地方裁判所に競売の申立をしたところ(同庁昭和三〇年(ケ)第一、四三八号事件)、同裁判所は、昭和三〇年九月二日競売開始決定をし、同月一〇日その旨の登記を経由した。次いで原告は、本件建物を競落し、昭和三二年七月二日、競落代金を支払つて、その所有権を取得した。しかるに被告は、何等の権原なくして本件建物を占有し、原告に対し、一箇月金三〇、〇〇〇円の割合による賃料相当の損害を加えている。
そこで原告は、被告に対し、所有権に基き、本件建物の明渡と明渡義務不履行を理由に、昭和三二年七月三日以降明渡済に至るまで、一箇月金三〇、〇〇〇円の割合による損害金の支払を求めるものである。
第二被告の答弁及び抗弁
(答弁)
被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、との判決を求め、原告の主張事実中、本件建物が、もと堂前富蔵の所有であつたこと、原告が、その主張のような経過で本件建物の所有権を取得したこと、被告が、そのころから本件建物を占有していること及び本件建物の賃料相当額が、一箇月金三〇、〇〇〇円であることは、いずれも認める、と答え、抗弁として、次のとおり述べた。
(抗弁)
原告が、本件建物について抵当権設定登記を経由したのは、昭和三〇年三月二六日である。ところが、堂前富蔵は、これに先き立ち、昭和二五年八月三〇日東芝電機商会(法人に非ざる社団)の代表者鈴木新吉に対し、本件建物を(一)賃料一箇月金七、〇〇〇円、毎月末日払、(二)賃借人は賃借権を他へ譲渡し、また、賃借物を他へ転貸することができる、(三)鈴木が、東芝電機商会を会社組織に改めたときは、同会社が、賃借人の地位を承継する、(四)賃借人は、権利金として、金八〇〇、〇〇〇円を支払う等の約定で賃貸し、昭和二六年八月三〇日東芝産業株式会社が設立されるとともに、右(三)の約定により、同会社が、賃借人の地位を承継した。したがつて、この賃貸借は、未登記であるとはいえ、その後の物権取得者である原告に対しても効力を生じている。そして、被告は、昭和三一年三月二〇日東芝産業株式会社から、前記(二)の約定に基き、本件建物を賃料一箇月金三〇、〇〇〇円、毎月末日払、期限を昭和三四年二月二〇日と定めて賃借したのであるから、被告は、その転借権をもつて、原告に対抗することができ、したがつて、本訴請求に応ずるいわれはない。
第三原告の答弁
原告訴訟代理人は、「被告の抗弁事実中、原告が、昭和三〇年二月二六日本件建物について抵当権設定登記を経由したことは認めるが、その余の事実を争う。仮に、被告が、その主張のような転貸可能の特約に基いて、東芝産業株式会社から本件建物を転借したとしても、同転貸借は、競売開始決定の後で成立したのであるから、同決定の効力からして、被告は、その転借権をもつて、競落人である原告に対抗し得ない。」と述べた。
第四証拠関係
原告訴訟代理人は、甲第一号証から第一一号証、第一二号証の一、二を提出し、証人鈴木新吉及び櫛笥信一の各証言を援用し、乙第四、第五号証は、原本の存在及びその成立を争う、第七第八号証の成立は知らない、その余の乙号各証の成立は、いずれも認める、と述べた。
被告訴訟代理人は、乙第一号証から第三号証、第四、第五号証(写)第六号証から第八号証を提出し、証人堂前富蔵の証言及び被告代表者本人尋問の結果を援用し、甲第一一号証の成立は知らないが、その余の甲号各証の成立は、いずれも認める、と述べた。
理由
本件建物が、もと堂前富蔵の所有であつたこと、原告が、その主張のような経過で、本件建物の所有権を取得したこと、そのころから被告が本件建物を占有していること及び本件建物の賃料相対額が一箇月金三〇、〇〇〇円であることは、いずれも当事者間に争がない。
そこで被告の抗弁について考えるに、借家法第一条は、所有者から直接賃借したかどうかを区別することなく、目的建物につき、物権を取得した者に先き立つて、その建物の引渡を受けた賃借人(所有者の承諾を得た転借人をも含む。)を保護しようとする規定であり、したがつて、物権取得後に建物の引渡を受けた転借人は、よし、転貸人と前所有者との賃貸借について、転貸を許す特約があり、且つそれが物権取得前に結ばれ、転借人がその特約に基いて転借したのだとしても、その転借権をもつて、物権取得者に対抗し得ないものと解すべきである。このことは、賃貸借について登記をした場合でも、転貸を許す特約については、更に、その旨の登記を経由しない限り、これをその後の物権取得者に対抗し得ないことからも裏ずけることができる。
しかるに、被告の主張するところは、「本件建物の前所有者堂前富蔵とその賃借人東芝産業株式会社間の転貸可能の特約に基き、被告は、昭和三一年三月二〇日同会社から本件建物を賃借した。」というにつきるのであるが、他面、原告が、右転貸借に先き立つ昭和三〇年二月二六日本件建物について、抵当権設定登記を経由したことは、被告の認めるところであるから、被告は、その主張の転借権をもつて競落人である原告に対抗し得ないものというほかはない。
もつとも、被告主張のように、東芝産業株式会社が、右抵当権設定登記に先き立つて本件建物を賃借していたとすれば、その賃貸借は、通常賃貸借の内容をなす限度で、原告に対して効力を生ずるから、この場合、原告としては、同会社に本件建物を使用させるべき義務とともに、これから賃料を収取する権利を有し、したがつて、本件建物を使用できないことによる損害の賠償を被告に求める余地はない。そこで、この点を考察するに、本件全証拠によるも、被告の主張事実を認めることはできない。すなわち、
(一) 証人堂前富蔵の証言中、同人は、直接鈴木新吉と賃貸借契約を結び、且つ、その証左として乙第七号証(堂前を賃貸人、鈴木を賃借人、高木淳を賃借人の保証人とする賃貸借契約証書)を作成した旨を述べているが、この証言部分は、証人鈴木新吉の証言と対比し、信用できない。
もつとも証人鈴木新吉及び堂前富蔵の証言(右措信しない部分を除く)によると、堂前富蔵は、昭和二五年八月頃本件建物において、東芝電機商会の名で、電機器具商を始めるに当り、縁戚関係にある鈴木新吉を訪れ、決して迷惑をかけるようなことをしないから営業名義人になつてほしいと懇願し、その承諾を得るとともに同人の印鑑を借り受け、後日これを用いて乙第七号証を作成したことが認められるので、堂前は、鈴木の代理人として、自己と賃貸借契約を結んだものと考えられないではない。しかし、鈴木が営業名義人なることを承諾したからといつて、同人が、堂前個人に対して債務を負うような契約締結の権限を与えたものとは速断し得ないし、他に、堂前がかかる権限を有していたことを認めしめるに足る証拠はない。のみならず、証人櫛笥信一の証言によると、乙第七号証の作成名義人中、高木淳は、実在しないことがうかがえるので、同号証を採つて、被告主張事実の証拠とすることはできない。
このほか、堂前、鈴木間で賃貸借契約が結ばれたことを認めしめる証拠はないから、東芝産業株式会社が、鈴木の賃借人としての地位を承継する余地はないものといわなければならない。
(二) なお、成立に争のない甲第七号証、乙第一号証及び第六号証によると、昭和二六年八月二七日東芝産業株式会社が設立され、堂前富蔵が、その代表取締役に就任し、以後、昭和三一年三月二〇日被告に転貸するまで、同会社が、本件建物を占有していたことが認められ、また、成立に争のない乙第二、第三号証によると、本件競売手続中、執行吏の賃貸借の取調に対し、堂前富蔵の親族が、本件建物は、右会社において、堂前富蔵から賃借占有している、と述べたことを認め得ないではないが、他方、本件全証拠によるも、同会社が堂前富蔵に対して賃料を支払つた形跡は認められないのであり、これから推すと、前記事実も、被告の主張を裏ずけるに足りないし、他に、同会社が、本件建物を賃借していたことを認めしめるに足る証拠はない。
以上のように、東芝産業株式会社が、本件建物を賃借していたことを認めることはできず、他に、免責事由のあることについては、被告の主張も立証もしないところであるから、被告は、原告に対し、本件建物を明け渡し、且つ、昭和三二年七月三日以降支払済に至るまで、一箇月金三〇、〇〇〇円の割合による賃料相当の損害金を支払うべき義務があるものというほかはない。
よつて、原告の本訴請求は、正当として、これを認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき、同法第一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 篠原弘志)
目録
東京都中央区新川一丁目九番ノ二
家屋番号同町二番一
一、木造瓦葺平家建事務所
建坪一四坪七合五勺(実測二〇坪五合)